インファーネスひみつきち

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科学誕生の流れその3 ~神話の実用性~

 歴史を見るに人間社会には多かれ少なかれ神話的、宗教的世界観が根ざしている。この世界観がどのようにして生まれるかは自明ではないが可能性の一つとして前回神話誕生の流れを説明した。それでは神話の根ざした社会の中では一体どのような科学っぽい活動が行われるのだろうか。この活動は「すでに承知の知識群(ここでは神話)に対して抱く疑問」を主軸として展開していくことだろう。疑問の種類はいくつか有るだろうが、おおむね次のようになると思う。知識群が正しいかという真偽の問題。余分なもしくは足りない知識はないかという完全性の問題。その知識が一体何に使え使えないかという実用性の問題。

 まず実用性の問題を考える。これまでの神話誕生の流れを考えると、神話には日常の非自明な事柄を説明する能力が有るが、その他の人々の生活に影響を及ぼしうるような点を考えていきたい。とくに神話の説明能力について言えば、たしかに神話はある特定の人物によって離散的なものから連続的なものへとまとめられたと言ったが、神話の根源を「その場しのぎの回答」と考え、人々の営みの「自然な流れ」のなかで神話として形作られていったことを考えると神話の説明能力は人為的とは言い難いが神話に与えられる当然の副産物と見て取れるだろう。神話にはほかどのような実用性が有るだろうか。十分に社会に根ざした神話は人々の共通認識、共通の価値観を与えることが予想される。これは社会にある種の団結や民族意識のようなものを与えるのに役に立ちそうだ。これは結果的に神殿の建設や恒例行事を生み出すこととなるだろう。しかしこれらの実用性はどれも一部の偉人的人間によって発見、発明されるようなものと言うよりかはそれこそ神話誕生のように人々の営みと直結しながら生まれ習慣化されていったものと考えるほうが自然だと思う。また、現在行われている科学ではある個人または小さな集団の偉業により社会全体に影響を及ぼすような発見や発明が有ることを考えるとやはり神話のそれは科学とは異なる。

 次回、真偽の問題、完全性の問題を扱いたい。