インファーネスひみつきち

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科学誕生の流れ その1

 「いかにして科学が生まれたのか」このことについて考えてみたいのだが、問題の中に含まれる生まれたモノである「科学」とは一体何なのかという問いは難問である。この「科学」なるものの正体を知らずに本題の問題を解くことができるのだろうか。どうも難しそうなので、ひとまず「科学っぽい活動」というものを考えてみる。この「科学っぽい活動」は科学であっても良いし、科学でなくても良い。こうすることで人間の営みの中の「科学っぽい活動」に注目しながら歴史をたどり、最終的に我々が現在行っている「科学」と呼ばれる活動へと合流しようではないかという魂胆である。

 では科学っぽい活動にはどのようなものが挙げられるだろうか。ひとまず片っ端から挙げていこう。

実験、観測、データの蓄積、予測、推理、法則か、理論の構築、理論の修正、現象の解明、仮説を立てる、等々

 これらをもっと具体的な例で表すならば、データの蓄積は夜空の星の位置を記録することがまさにそれである。また、法則化はある星がどの方角に来たら雨季が始まるといった具合で、この法則を実生活に用いようとしたらそれは予測や推理である。さらに、データや法則を元にそれらを統一的に導ける宇宙像を考えるならそれは理論の構築と言えるだろう。このような科学っぽい活動を人間の歴史の中に見出していく。

はるか昔の人類の中には狩猟採集生活を送っていた者たちがいると言われて拒絶反応を示す者は少ないだろう。現代社会において狩猟採集民は殆どいないと言ってよいだろうが、彼らも科学っぽい活動をしていたことは想像できる。例えばマンモスを狩ろうとするにも一回でうまくいくとは思えない。うまく狩るためにマンモスの動きを観察し続けたのか、それとも何度もマンモスに挑み失敗しその都度反省をしてきたのか、これらの両方かは分からないが狩猟採集民は獲物に関する知識を見て、覚え、実践して来たことだろう。これは確かに先ほど考えた「科学っぽい活動」だがあまりにも原始的すぎて科学っぽくない。そこで次に農耕民に注目する。

 農耕民はいわばその日暮らし的な狩猟採集民とは異なり計画的に種を植え管理し、収穫する。そのためには暦の作成や作物の知識が必要である。暦の作成には天体の振る舞いの記録から規則性を見出す事が必要で、作物の知識も様々な経験の蓄積から得られるものだろうこれは紛れもなく科学っぽい活動であり、狩猟採集民のそれよりもどこか科学っぽい。

 このように人類ははるか昔から少なくとも科学っぽい活動をしてきたのである。しかし現在行われている科学と同じものと扱うにはまだなにか足りない。おそらくこれは扱っている問題の大きさが異なる点、そして現代の科学的活動にある理論からまだ知られていない現象の予言が上の例だけでは見られないところにあるだろう。ここまでの人類は生きるために知識を蓄え科学っぽい活動をしてきたが、その必要がなくなった場合、人の科学っぽい活動はどう変化するだろうか。次回この点に注目したい。